スキップしてメイン コンテンツに移動

ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相

 

ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950年9月17日 第18代インド首相 前グジャラート州首相


by 第18代インド首相 前グジャラート州首相
ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相

科学産業研究評議会は、インドの海で大量のメタンの存在を検出しますエネルギーを補給するために海からメタンを抽出する準備をしている

ニューデリーlマダンジャダ

国の増大するエネルギー需要を満たすために、海洋からメタンを抽出するための準備が行われています。

科学産業研究評議会(CSIR)のインド洋学研究所(ゴア)は、インド洋に大量のメタンが存在することを検出しました。NIO(Indian Institute of Oceanography)の所長であるSunil Kumar Singhは、インド洋の経済特区内のクリシュナゴダバリ盆地、マナー盆地、西アンダマンに大量の水素化ガスが存在するとヒンドゥスタンに語った。

科学者たちは、この地域で約2000兆立方メートルの水素化ガスが利用できる可能性があると推定しています。ガス水素化物は、氷の形をしたガスと水の結晶形です。メタンガスは処理して分離する必要があります。インドもその技術を開発し、海からの搾取のために必要な設備も準備されています。シン氏によると、私たちの目標は、利用可能な全水素化ガスのわずか10パーセントを達成することです。これに成功すれば、私たちのエネルギー需要は100年間満たすことができます。

メタンガスは、さまざまな方法でエネルギー需要を満たすために使用できます。彼は、ガス水素化物がメタンガスに変換されるとき、165立方メートルのメタンガスが1立方メートルのガス水素化物から調製されることができると言いました。

メタンは温室効果ガスであるため、メタンを変換するプロセスには、大気中に漏れないように非常に高度な技術が必要であると彼は言いました。彼は、メタンは海の2〜3キロメートルの深さで利用可能であると言いました。それを取り除くために必要な技術が準備されています。

首都の悪寒、3.2度の水銀

ニューデリー。デリーでは寒波が続いています。月曜日、気温は摂氏3.2度まで下がりました。これは通常より5度低くなっています。これは今シーズンの最低最低気温です。

Safdarjung Meteorological Centerによると、火曜日もひどい風邪をひく可能性があります。デリーのザフェアプールエリアは最も暑い場所で、最低気温は摂氏2.9度で記録されました。同時に、月曜日にもラジャスタン州のチュルーとシーカルで水銀がゼロを下回りました。(バネ)


# by maiu134 | 2021-12-21 10:25
2010/04/02 - 三井ホームはオーダーメイドの注文住宅をはじめ、賃貸・土地活用、医院・施設建築、リフォームなど、ご要望に沿って専門のスタッフがデザイン性と快適さを両立した ... 吉永小百合さん. 三井ホーム株式会社(本社:東京都新宿区、社長:生江隆之)は、新テレビCFの放映を4月4日(日)から開始いたします。 ... 三井不動産グループ.
2003/04/25 - 三井ホームはオーダーメイドの注文住宅をはじめ、賃貸・土地活用、医院・施設建築、リフォームなど、ご要望に沿って専門の ... 期間中は、女優の吉永小百合さんにイメージキャラクターとして再登場いただきます。 ... 三井不動産グループ.

# by maiu134 | 2020-06-20 12:49
Amazon.co.jp: 映画 風の舞~闇を拓く光の詩~ (VHS): 寺田濃, 吉永小百合, 宮崎信恵: ビデオ.
おかけ様でチケットは完売しております。 2015年2月21日(土)練馬文化センターにて上映会&トークセッションを開催します。 詳細は「地域をつくる」上映会inねりまのHPへ※リンクしてます. ナレーター:寺田農 詩の朗読:吉永小百合 ...
宮崎信恵監督作品 ドキュメンタリー映画「風の舞」のオフィシャルサイトです。らい予防法が廃止となり真摯に今 ... 風の舞ビデオパッケージ 視聴する 《ストーリー》 12歳で発病し、13歳 ... と静かな語りの中で訴えていく。 詩の朗読 吉永小百合 ナレーション 寺田農
吉永 小百合さん. この映画は皆様のご協力を得て全国上映を試みております。 是非、みなさんの地域でも上映を計画してみてはいかがでしょうか。 1996年、「らい予防法」が廃止になりました。(ハンセン病の患者を社会から強制隔離) 病気が癒えてもなお社会に ...
2003/11/08 - ハンセン病患者である詩人・塔和子の人生を、彼女の詩に乗せてつづった記録映画。難病に隠された歴史と療養所に強制隔離された人々のその後を追う。吉永小百合が詩の朗読を担当。 twitter; facebook; line ...

# by maiu134 | 2020-06-20 12:48
吉永小百合さんが青松園にお越し下さいました。その時の模様をTBSラジオ「今晩は 吉永小百合です」でご紹介されました。 *塔和子の歌碑が故郷 ...
含まれない: いづどう

# by maiu134 | 2020-06-20 12:48

吉永小百合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動検索に移動
よしなが さゆり
吉永 小百合
吉永 小百合
吉永 小百合
文化功労者選出に際して公表された肖像写真
本名岡田 小百合(旧姓吉永)
生年月日1945年3月13日(75歳)
出身地日本の旗 日本・東京都渋谷区
身長155 cm[1]
血液型O型
職業女優・歌手・ナレーター
ジャンル映画・テレビドラマ・CM
活動期間1957年 -
配偶者岡田太郎
事務所フリー
主な作品
映画
『キューポラのある街』
『伊豆の踊子』
『愛と死を見つめて』
『青春の門』
『おはん』
『映画女優』
『天国の駅 HEAVEN STATION』
『華の乱』
『おとうと』
『北のカナリアたち』
『ふしぎな岬の物語』
『母と暮らせば』
テレビドラマ
『樅ノ木は残った』
『風と雲と虹と』
『鮎のうた』
『夢千代日記』
[表示] 受賞
備考
紫綬褒章(2006年)
文化功労者(2010年)
テンプレートを表示
吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年(昭和20年)3月13日[2] - )は、日本の女性俳優、歌手である。本名、岡田 小百合(おかだ さゆり)。旧姓、吉永。東京都渋谷区代々木西原町(現・西原)出身。そのファンは、「サユリスト」と呼称される。1960年代を代表する人気映画女優で10年間で70本以上の映画に出演した。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。早稲田大学第二文学部西洋史学専修を卒業[2] し、文学士の称号を受ける。夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。


目次
1経歴
2人物
2.1女優活動
3反戦・反原発に関して
3.1親族
3.2趣味・好きなもの
4特記事項
4.1サユリスト
5受賞歴など
6出演
6.1映画
6.2テレビドラマ
6.3テレビアニメ
6.4ラジオ
6.5ラジオドラマ
6.6CM
6.7その他
7音楽作品
7.1シングル
7.2アルバム
8NHK紅白歌合戦出場歴(歌手として)
9朗読CD
10書籍
10.1著書
10.2共著
10.3編集
10.4伝記ほか
11脚注
12外部リンク
経歴
1957年(昭和32年) - 渋谷区立西原小学校6年生の時、ラジオ東京(現 TBSラジオ)の連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。10月、ラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。1959年(昭和34年)に松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。
1960年(昭和35年) - 渋谷区立代々木中学校卒業、東京都立駒場高等学校全日制普通科入学。同時に日活撮影所に入社。翌年、私立精華学園女子高等学校(現在の 東海大学付属市原望洋高等学校)に転入学。

1962年
1962年(昭和37年) - 高校在学中、『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)にヒロイン役で出演。また、ビクターから『寒い朝』でレコードデビューし20万枚のヒット。橋幸夫とのデュエットで歌唱した『いつでも夢を』も30万枚の大ヒットとなった。また、この頃から日活の清純派女優として浜田光夫とコンビを組む。
1965年(昭和40年) - 大学入学資格検定に全科目合格は出来ていなかったが早稲田大学に高卒と同等以上の学力があると認められ早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学(俳優業多忙のため、精華学園女子高校は中退していた)。
1969年(昭和44年) - 多忙な中、早稲田大学を次席で卒業。日活と契約更新(特記事項を参照)。
1973年(昭和48年) - フジテレビディレクター岡田太郎(後の共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任)と結婚し、京王プラザホテルで披露宴を執り行う。
1988年(昭和63年) - 『つる -鶴-』(市川崑監督)に主演し、映画出演は通算100作品となる。
その後も女優として映画・CMなどへの出演に加え、原爆詩の朗読などの平和への訴えや反原発について意見を述べるなどの活動を続けている(詳しくは後述)。
人物
女優活動
「日活の看板女優」として、浜田光夫と1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こし、従来の男性アクション映画路線がマンネリ化していた当時の日活にとって、吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は、新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めた。特に『キューポラのある街』、ベストセラーを映画化した『愛と死をみつめて』などは世間から熱い注目を集めた。1960年代には吉永のブロマイドが、あまりの売れ行きに店頭から姿を消すなど、爆発的に売り上げを伸ばした。また、松原智恵子と和泉雅子と合わせて「日活三人娘」とも呼ばれた。
1969年には年2本以上の日活作品に出演する代わりに他社の作品や自主制作映画は日活側の諒解[3] を得れば自由に出演が出来る条件で再契約する。しかし当時はヤクザ映画が全盛で、吉永向けの純愛・青春系の作品を制作するのは既に困難であった[4]。
日本映画の衰退期と重なったこともあるが、岡田との結婚により役柄のイメージに合わず、結婚に反対する両親との仲違いも報道されたりもした[5]。1973年当時の邦画界には、ヌードも辞さず大胆に現代女性を演じる若手女優が多数登場しており、吉永が1960年代に演じ続けた「清純なお嬢さん」像は類型的で過去の遺物のような印象になってしまっていた。子役出身の俳優にしばしば見られるように、娘役から大人の女性への脱皮がスムーズに行かなかったともいえる。1975年(昭和50年)、『青春の門』を皮切りに「清純なお嬢さん」を脱する演技を披露した。
『男はつらいよ』シリーズでは二度歌子役で出演しており、平成に入り三回目の再登場もあったがスケジュールが合わず「それに、同じ役を何度もやると、私自身がマンネリになるんじゃないかと」も理由にあり、渥美清が1996年に死去しシリーズ終了後に「もう一度、出演するべきでした。最後ということが分かっていたらどんな形でも出たかった。後悔しています」と語っている[6]。
1984年の映画『天国の駅 HEAVEN STATION』(東映)では自慰行為をし[7]、三浦友和に押し倒され着物の胸に手を差し入れられるシーンでは三浦が「小百合さんは物凄い積極的で、『もっと大胆にやってよ』と何度もダメ出しをしたんです。僕はもうタジタジになって、20回以上NGが出ました」と語るほど、濡れ場でもビックリするほどの積極性を見せていたが、ヌードになることには抵抗があったようで「胸が小さいから、出してもしょうがない」と斎藤光正に言っていた[8]。
岩下志麻とともに舞台劇に出ない女優として知られており[9][10]、舞台未経験[11] である。2001年に東宝が『長崎ぶらぶら節』を帝国劇場で上演したが、この際も松岡功東宝会長(当時)が、岡田茂東映会長(当時)に「吉永さんを口説いてもらえんかい」と頼んだが「彼女は駄目だよ」と断わられたという[9]。
デビュー時代以外はテレビドラマには縁の無い印象であるが、映画出演の減り始めた時期に、「東芝日曜劇場」やNHK大河ドラマにも出演している。1981年(昭和56年)の『夢千代日記』(NHK)では、大人の女性としての内的情感を豊かに表現し、この時期から、評論家に演技力に難をつけられながらも、大女優の風格をもつ女優という好意的な評価を受け始めた。「サユリスト」復権も同時期であり、邦画冬の時代にも定期的に出演作が製作されている。
現在のテレビ出演はほぼCMのみであり、映画を中心に活動している。
反戦・反原発に関して
広島を舞台にした『愛と死の記録』の出演や、『夢千代日記』で原爆症に苦しむ主人公を演じたことをきっかけに、1986年(昭和61年)からボランティアで原爆詩の朗読会をスタートさせている。以後女優としての活動のほか、反戦・反核運動をライフワークとして力点を置いている[2]。
沖縄戦を扱った映画『あゝひめゆりの塔』の共演者らと共にもんぺ姿で靖国神社に参拝している[12]。
以前から脱原発を求めていたが[13]、福島第一原子力発電所事故後はその姿勢を一層強めている[14]。
2002年(平成14年) - 平和記念資料館(広島市)に導入された音声ガイドのナレーションをボランティアで担当。
2005年(平成17年) - 第56回NHK紅白歌合戦では、山梨県からの中継で原爆詩を朗読した。
2011年(平成23年) - 7月31日に広島国際会議場の原爆詩朗読会で「世の中から核兵器、原子力発電所がなくなってほしい」と訴えた。朗読会は日本母親大会の特別企画[15]。
親族
父の吉永芳之(鹿児島県出身)は、東大法学部卒業、九州耐火煉瓦、外務省嘱託を経て、出版社「シネ・ロマンス社」を経営。飯島正、双葉十三郎らと映画ファン雑誌「シネ・ロマンス」を刊行するも、事業に失敗している。母の和枝は大阪に生まれ[16]、宍粟郡(現・兵庫県宍粟市山崎町)で小学生の頃まで育ち[17]、「潮音」に所属する歌人であった。
少女時代、吉永は何一つ不自由ない幸福な生活を送ってきたと思われることが多いが、上記の父親の事業の失敗から、家の米びつに1粒の米もない日もあったという。小学校の時は借金取りが押し寄せたこともあった。それを見た彼女は「私、新聞配達をする」と言ったが、親に止められたとのこと。その後、ラジオ出演するにしたがって、家の生活も少しずつ楽になっていったという[18]。
母方の祖父に、英文出版社の大観社社長の川田友之。叔母に『婦人画報』編集長、「アムネスティ・インターナショナル日本支部」の創設メンバーの川田泰代が名前を連ねるなど、執筆の世界とも所縁が深い。
遠縁に歌手の佐良直美がいる(佐良直美の母方の大伯父である山口彰夫の妻と、吉永小百合の母が姉妹同士)[19] また山本直純の妻の山本正美も遠縁にあたる(山本正美の妹の夫の母が、吉永小百合の母のいとこの妻と姉妹同士)[19]。
28歳の時に15歳上のテレビプロデューサー・岡田太郎と電撃結婚した[5]。
趣味・好きなもの
お酒好きで、1970年代前半に年末年始の恒例だった雑誌『酒』の編集長・佐々木久子や楠本憲吉らが選ぶ『11PM』「女流酒豪番付」に於いて、小結に選出されたこともある酒豪[20]。1979年9月に北京で開催された「中国・日本映画祭」に日本代表団の一員として訪中した際、熱烈歓迎で連日宴会に招かれたが、岡田茂(東映)日本代表団団長を始めとした松岡功(東宝)、徳間康快(大映)、根本悌二(にっかつ)ら、酒豪で鳴らす映連首脳さえ、三杯がせいぜいなアルコール度数65%もあるマオタイ酒をぐいぐいと十杯飲み干しても平然とし、並みいる酒豪連を瞠目させた[21]。
長年に渡り健康維持のために水泳を継続している。また、常に水着を持ち歩き、プールがあればどこでも泳いでいる。
西武ライオンズと早稲田大学ラグビー部のファンとして有名である。前者については、元々読売ジャイアンツ(特に長嶋茂雄)のファンだったのが、江川事件をきっかけに、また西武グループ元オーナーの堤義明にスキーを教わったのをきっかけとして転向したものだった。また、西武ではかつて清原和博のファンでもあった[22]。かつては西武球場時代の1994年の開幕戦に始球式を務めあげた事もあり、1987年の巨人との日本シリーズ第6戦ではTBSテレビの中継にネット裏からスペシャルゲストとしてイニング限定で出演した事もある。現在も筋金入りの西武ファンである。後者については、試合観戦に通うだけでなく、毎年の夏の合宿に牛一頭分の牛肉の差し入れをしている。これは「吉永牛」として部員の間で呼ばれている[23]。過去に早稲田大学が負けた試合をスタジアムで観戦した帰り道、落ちていた空き缶を蹴飛ばしたことがある。
夫から教わった将棋も趣味の一つとしており、将棋棋士の大内延介と交遊があった。また、1976年の「将棋会館」建設にあたって多額の寄付をしている。
『吉永小百合 街ものがたり』(TBSラジオ)の中で、鉄道ファンであることも告白しており、JR東日本「大人の休日倶楽部」のポスター・CMのイメージキャラクターも務めている。また、一番好きな路線は、五能線であることも、告白している。
特記事項
12~13歳の頃、個人的にボイストレーニングのためにひばり児童合唱団に通っていたことがあり(団員ではなかったが、個人レッスンを受けていた)、その後ひばり児童合唱団の創設者である皆川和子からの紹介で松竹からの映画デビューが実現した。
吉永が歌い上げた「奈良の春日野」(「♪フンフンフーン 黒豆よ♪」の歌詞が特徴的)は、元々1965年(昭和40年)に発売されたシングル「天満橋から」(『第16回NHK紅白歌合戦』出場曲)のB面曲であったが、1987年(昭和62年)に明石家さんまがギャグとして取り上げたことから、レコードも再発売(A面を「奈良の春日野」に変更)されヒットした。
15歳時、映画『天使が俺を追い駈ける』(1961年)撮影の際に三木のり平とキスをした。これが自身のファーストキスとなった[24] と1999年4月13日放送の『スタジオパークからこんにちは』にて発言している。
1962年3月31日からイタリアのミラノで開かれた「ミラノ国際見本市」の中で、4月15日から4月19日まで開催された『ミラノ日本映画見本市』のため、4月10日、清水雅(東宝社長)を団長として、川喜多長政、奥山融、そして、他の映画会社各社代表女優の佐久間良子(東映)、星由里子(東宝)らと共に日活代表女優としてイタリアへ出発。岸惠子が日本からではなく現地参加でミラノで合流している。吉永は星と共に同国のヴェネツィアも訪れている。4月25日、帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なイタリア訪問となった。
1963年にはナイフとピストルを持った男に自宅の自室内で襲撃されている(犯人は吉永の熱狂的なファンだった)[25]。また、同年には合計7通の脅迫状が吉永の自宅に届いている(吉永小百合脅迫事件)。
実現には至らなかったものの、1960年末期から幾度も『NHK紅白歌合戦』の紅組司会の候補に挙がった。
吉永主演映画の原作者でもある川端康成・石坂洋次郎といった作家にも寵愛され、川端は吉永に会いたいために山奥の伊豆の踊子のロケ現場を突然訪ね、石坂は吉永が演じることを想定して作品を綴り上げた。
三波春夫の曲と思われがちの『世界の国からこんにちは』のレコードを、日本万国博覧会当時に出している(全部で7種類の歌い手による競作であった)。同博覧会開催の数年前に、この歌が初めてマスコミに発表された時も三波春夫ではなく吉永がその場で歌っている。また、松下電器産業が博覧会を記念して制作したタイムカプセルには、吉永が歌い上げたレコードが納められた。
早稲田大学の女子学生をさす、バンカラで、男まさりで、活動的な「早稲女(わせじょ)」の代表的O.G.としてしばしば吉永の名があげられる。
早稲田大学第二文学部での卒業論文のテーマは「アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』におけるアテネ(アテナイ)の民主制について」であった。
冨士眞奈美・吉行和子ら女優や文士も参加した句会では、吉永がまだ20代の頃に「今日はバレ句(色っぽい句)を詠みましょう」というテーマが出され、優等生・清純というイメージとは裏腹に「松茸は舐めてくわえてまたしゃぶり」と詠み、秀逸作品(天・地・人、の天)に選出されている[8]。
和田アキ子と旅行した時に互いに写真を写し合いした際、和田の顔を眺めて吉永は「和田さんって、私と似てますね」と言ったという。和田はそのことを他人に自慢しても信じてくれないと自虐ネタにすることがある。
2005年、西武鉄道グループ(西武ライオンズを含む)の当時のオーナーであり、吉永のファンでもあった堤義明から軽井沢の別荘を格安で買ったと報じられた(週刊文春2005年3月10日号)。吉永は「通常の売買契約に基づき行っております」と弁明している。
水島新司の漫画『あぶさん』にも、1993年シーズンの開幕戦に西武球場に観戦に来るなど登場する。
2015年リリース、元ちとせのアルバム『平和元年』の題字を書き下ろす。
サユリスト
吉永とともに青春時代を歩んだ世代に「サユリスト」(『小百合』に『…主義者』や『人』を意味する英語の接尾辞『-ist』をつけた造語)と言われ、特に団塊 - 70歳代にかけての世代に多く見られるが、「サユリスト」を自認する者は邦画ファンや一般大衆はもとより、芸能人や著名人にも幅広く存在している[2]。内藤陳は、呼び捨てをふくむこと自体がとんでもないとして「サユリサマスト」と呼ぶよう提唱しているが、ほとんど世間には浸透していない。
「サユリスト」を自認するタモリは、同じく「サユリスト」として知られる野坂昭如を指して「あの人は一時、山口百恵に走ったが、俺は小百合サマ一筋」と述べたことがある。タモリと吉永は早稲田大学第二文学部に在学していた時期が重なっており、学生食堂で吉永が食事しているのを偶然に発見した際、吉永の食べ残しを食べようか迷った末、思い留まったというエピソードがある。
やはり、早稲田大学の後輩である小宮山悟も「サユリスト」の一人である。
漫談家の綾小路きみまろも「サユリスト」を自認する人物の一人。また、吉永も綾小路のファンであり、吉永の主演映画『まぼろしの邪馬台国』では、吉永の希望によって綾小路に出演依頼を行い、綾小路は「サユリストの1人として是非」と快諾。なお、綾小路にとってはこれが実質的な俳優としてのデビュー作である。
ちなみに栗原小巻(誕生日は吉永の翌日である)のファンは、「コマキスト」と呼ばれた。
受賞歴など
1962年(昭和37年) - 『キューポラのある街』のヒロイン役で第13回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞(17歳での受賞は2012年時点で史上最年少記録)。同年、橋幸夫とのデュエット曲『いつでも夢を』で「第4回日本レコード大賞」受賞。
1964年(昭和39年)、1968年(昭和43年)、1969年(昭和44年)と、ブロマイドの年間売上実績で女性部門1位に光輝く。
1982年(昭和57年) - ドラマ『続 夢千代日記』に対して、第19回ギャラクシー賞・選奨を受賞[26]。
1985年(昭和60年) - 『おはん』、『天国の駅』の演技で、「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞」初受賞。以降、1989年(平成元年)『つる -鶴-』・『華の乱』、2001年(平成13年)『長崎ぶらぶら節』、2006年(平成18年)『北の零年』と、最優秀主演女優賞を計4度受賞(歴代1位)している。
1997年(平成9年) - 朗読CD『第二楽章』で「第39回日本レコード大賞企画賞」受賞。
2000年(平成12年) - 『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の2位、同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター女優」でも同じく第2位になった。
2003年(平成15年) - 平和記念資料館のナレーションや、同じくボランティアである原爆詩の朗読などの平和活動が評価され、「第15回谷本清平和賞」受賞。
2006年(平成18年) - 紫綬褒章、受章。
2008年(平成20年) - 2月に主演映画『母べえ』がベルリン国際映画祭出品のためベルリンへ往く。同年、『母べえ』『まぼろしの邪馬台国』等長年の功績により、第2回HIHOはくさい映画賞(『映画秘宝』主催)生涯功労賞、受賞。
2010年(平成22年) - 文化功労者に選出。
2014年(平成26年) - 自身初のプロデュース作品『ふしぎな岬の物語』がモントリオール世界映画祭で審査員特別大賞を受賞。同作で第38回日本アカデミー賞優秀主演女優賞受賞[27]。
2014年(平成26年) 2014年12月発売の映画雑誌『キネマ旬報』創刊95周年記念『オールタイム・ベスト 映画遺産 日本映画男優・女優100』にて女優20位に選出された[28]。
2015年(平成27年) - 第63回菊池寛賞を受賞[29]。
2016年(平成28年) - 第25回日本映画批評家大賞・実写部門 ダイヤモンド大賞を受賞[30]。また、原爆詩の朗読に対し、第1回澄和(とわ)フューチャリスト賞(市民目線の平和関連活動に地道に取り組んでいる個人や団体を表彰する賞)を受賞[31]。
出演
映画

1959年の映画『まぼろし探偵』。左は加藤弘
朝を呼ぶ口笛(1959年、松竹大船) - 刈谷美和子 役 ※デビュー作
まぼろし探偵 地底人襲来(1960年、新東宝) - 吉野さくら 役
拳銃無頼帖 電光石火の男(1960年、日活) - 節子役
霧笛が俺を呼んでいる(1960年、日活) - 浜崎ゆき子 役
拳銃無頼帖 不敵に笑う男(1960年、日活) - 壇則子 役
疾風小僧(1960年、日活) - 秀子役
すべてが狂ってる(1960年、日活) - 久保典子 役
ガラスの中の少女(1960年) - 主演・靖代 役
1988年、後藤久美子と吉田栄作でリメイクされる
美しき抵抗(1960年、日活) - 松波久美子 役
大出世物語(1961年、日活) - 高子 役
天使が俺を追い駈ける(1961年、日活) - 久美 役
花と娘と白い道(1961年、日活) - 主演・みや子 役
ろくでなし稼業(1961年、日活) - 浜田澄子 役
警察日記 ブタ箱は満員(1961年、日活) - 長女ヨシエ 役
早射ち野郎(1961年、日活) - 真山美佐 役
有難や節 あゝ有難や有難や(1961年、日活) - 守田洋子 役
青い芽の素顔(1961年、日活) - 主演・山中みどり 役
闇に流れる口笛(1961年、日活) - 柿崎咲子 役
この若さある限り(1961年、日活) - 河並亮子 役
俺は死なないぜ(1961年、日活) - 義妹弓子 役
闘いつづける男(1961年、日活) - 鞍馬涼子 役
太陽は狂ってる(1961年、日活) - 北条知里 役
あいつと私(1961年、日活) - 浅田ゆみ子 役
草を刈る娘(1961年、日活) - 主演・モヨ子 役
黒い傷あとのブルース(1961年、日活) - 小牧洋子 役
さようならの季節(1962年、日活) - 殿村幸子 役
上を向いて歩こう(1962年、日活) - 永井紀子 役
キューポラのある街(1962年、日活) - 石黒ジュン 役[32]
激流に生きる男(1962年、日活) - さかえ 役
赤い蕾と白い花(1962年、日活) - 主演・岩淵とみ子 役
霧の夜の男(1962年、日活) - 深沢みき 役
星の瞳をもつ男(1962年、日活) - 品田冴子 役
あすの花嫁(1962年、日活) - 主演・汐崎百合子 役
若い人(1962年、日活) - 江波恵子 役
1977年、桜田淳子と小野寺昭でリメイクされる。
ひとりぼっちの二人だが(1962年、日活) - 田島ユキ 役
青い山脈(1963年、日活) - 主演・寺沢新子 役
いつでも夢を(1963年、日活) - 三原ひかる 役
泥だらけの純情(1963年、日活) - 横山真美 役
1977年、山口百恵と三浦友和でリメイクされる。
雨の中に消えて(1963年、日活) - 主演・川路あや子 役
俺の背中に陽が当る(1963年、日活) - 朝子 役
伊豆の踊子(1963年、日活) - 主演・薫、少女 役(二役)
1974年、山口百恵と三浦友和でリメイクされる。
若い東京の屋根の下(1963年、日活) - 主演・桑野蕗子 役
美しい暦(1963年、日活) - 主演・矢島貞子 役
波浮の港(1963年、日活) - 主演・明代 役
真白き富士の根(1963年、日活) - 磯村梓 役
光る海(1963年、日活) - 主演・石田美枝子 役
こんにちわ20才(1964年、日活) - 主演・石沢カナ子 役
こんにちは赤ちゃん(1964年、日活) - 主演・宇田川圭子 役
浅草の灯 踊子物語(1964年、日活) - 小杉麗子 役
潮騒(1964年、日活) - 主演・宮田初江 役
風と樹と空と(1964年、日活) - 主演・沢田多喜子 役
帰郷(1964年、日活) - 守屋伴子 役
愛と死をみつめて(1964年、日活) - 小島道子 役
うず潮(1964年、日活) - 主演・林フミ子 役
若草物語(1964年、日活) - 高村しずか 役
悲しき別れの歌(1965年、日活) - 主演・野村ゆり子 役
未成年 続・キューポラのある街(1965年、日活) - 主演・石黒ジュン 役
青春のお通り(1965年、日活) - 主演・南原桜子 役
明日は咲こう花咲こう(1965年、日活) - 主演・小日山ひろ子 役
父と娘の歌(1965年、日活) - 主演・卓紘子 役
四つの恋の物語(1965年、日活) - 三沢三也子 役
大空に乾杯(1966年、日活) - 主演・滝村ゆり子 役
青春のお通り 愛して泣いて突っ走れ(1966年、日活) - 主演・南原桜子 役
風車のある街(1966年、日活) - 主演・三浦まり子 役
私、違っているかしら(1966年、日活) - 主演・白石桂 役
愛と死の記録(1966年、日活) - 松井和江 役
白鳥(1966年、日活) - 小林麗子 役
青春の海(1967年、日活) - 主演・三宅杏子 役
恋のハイウェイ(1967年、日活) - 主演・梶若葉 役
君が青春のとき(1967年、日活) - 主演・木所香 役
斜陽のおもかげ(1967年、日活) - 主演・木田町子 役
君は恋人(1967年、日活) - 吉永百合 役
花の恋人たち(1968年、日活) - 主演・鑞山操 役
青春の風(1968年、日活) - 主演・楠本光子 役
だれの椅子?(1968年、日活) - 主演・沢村恵子 役
あゝひめゆりの塔(1968年、日活) - 主演・与那嶺和子 役
花ひらく娘たち(1969年、日活) - 主演・柿崎民子 役
嵐の勇者たち(1969年、日活) - 冬子 役
幕末(1970年、中村プロ) - お良役
風の慕情(1970年、松竹大船) - 主演・長谷由布子 役
青春大全集(1970年、松竹大船) - 主演・根本律子 役
戦争と人間 第二部・愛と悲しみの山河(1971年、日活) - 伍代順子 役
男はつらいよ 柴又慕情[2](1972年、松竹大船) - 歌子 役
戦争と人間 完結篇(1973年、日活) - 伍代順子 役
男はつらいよ 寅次郎恋やつれ(1974年、松竹大船) - 歌子 役
青春の門(1975年、東宝) - 伊吹タエ 役
新どぶ川学級(1976年、日活) - 須藤節子 役
若い人(1977年、東宝) - 鮎沢由紀 役
皇帝のいない八月(1978年、松竹) - 藤崎杏子 役
龍の子太郎(1979年、東映動画) - 太郎の母 役(声の出演)
衝動殺人 息子よ(1979年、松竹) - 柴田保子 役
動乱(1980年、東映) - 溝口薫 役
海峡(1982年、東宝) - 牧村多恵 役
細雪(1983年、東宝) - 蒔岡雪子 役
天国の駅 HEAVEN STATION(1984年、東映) - 主演・林葉かよ 役
おはん(1984年、東宝) - 主演・おはん 役
夢千代日記(1985年、東映) - 主演・夢千代(永井左千子) 役
玄海つれづれ節(1986年、東映) - 主演・山岡ゆき 役
映画女優(1987年、東宝) - 主演・田中絹代 役
つる -鶴-(1988年、東宝) - 主演・つる 役(通算100作目記念映画)
華の乱(1988年、東映) - 主演・与謝野晶子 役
外科室(1992年、松竹) - 主演・貴船伯爵夫人 役
天国の大罪(1992年、東映) - 主演・衣畑遼子 役
夢の女(1993年、松竹) - 主演・お浪(花魁楓) 役
女ざかり(1994年、松竹) - 主演・南弓子 役
霧の子午線(1996年、東映) - 主演・沢田八重 役
蓮如物語(1998年、東映アニメーション) - ナレーション
時雨の記(1998年、東映) - 主演・堀川多江 役
長崎ぶらぶら節(2000年、東映) - 主演・愛八(松尾サダ) 役
千年の恋 ひかる源氏物語(2001年、東映) - 主演・紫式部 役
風の舞 闇を拓く光の詩(2003年、映画「風の舞」全国上映実行委員会) - 詩の朗読
北の零年(2005年、東映) - 主演・小松原志乃 役
あした元気になーれ! 半分のさつまいも(2005年、「あした元気にな〜れ!」全国配給委員会) - 語り
母べえ[2](2008年、松竹) - 主演・野上佳代 役
まぼろしの邪馬台国(2008年、東映) - 主演・宮崎和子・卑弥呼 役(二役)
おとうと(2010年、松竹) - 主演・高野吟子 役
手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-(2011年、東映/ワーナー・ブラザース) - ナレーション・チャプラの母 役(二役/声の出演)[33]
北のカナリアたち(2012年、東映) - 主演・川島はる 役
BUDDHA2 手塚治虫のブッダ -終わりなき旅-(2014年、東映) - マーヤー天 役(声の出演)[34]
ふしぎな岬の物語(2014年、東映) - 主演・柏木悦子 役(企画も兼任)
母と暮せば(2015年、松竹) - 主演・福原伸子 役
北の桜守(2018年3月10日公開、東映) - 主演・江蓮てつ 役[35]
最高の人生の見つけ方(2019年、ワーナー・ブラザース映画) - 主演・北原幸枝 役(天海祐希とのW主演)[36]
テレビドラマ
赤胴鈴之助(1957年 - 1959年、KRテレビ)
まぼろし探偵(1959年 - 1960年、KRテレビ)
映像が現存し、DVDも発売されている。
SOSパリ(1959年 - 1960年、日本テレビ)
わが心のかもめ(1966年、NHK)
シオノギテレビ劇場(フジテレビ)
また逢う日まで(1966年)
その時、私は…(1967年)
愛情について 最終回「葉桜」(1967年)
はだしの太陽(1967年、NHK)
ナショナル劇場(TBS)
娘たちはいま(1967年 - 1968年)
はーいただいま(1968年)
日産スター劇場(日本テレビ)
夏みかんのような娘(1968年)
風の中を吹く(1969年、日本テレビ)
東芝日曜劇場(TBS)
24才 その7(1969年)
水ぐるま(1969年)
二代目(1970年)
二人の縁(1970年)
下町の女シリーズ(1970年 - 1974年)
鶴は帰りぬ(1971年)
亜希子(1971年)
あだこ(1972年)
つゆのひぬま(1973年)
白い花匂う(1975年)
誰も知らない愛(1975年)
春のゆくえ(1976年、毎日放送)
乙姫先生(1976年、北海道放送)
白い闇(1977年)
張込み(1978年)
緑の炎(1978年、RKB毎日放送)
不断草(1980年)
小ぬか雨(1980年)
愛ある限り(1969年、フジテレビ)
銀河ドラマ(NHK)
混戦模様(1969年)
大河ドラマ(NHK)
樅ノ木は残った(1970年)- 宇乃 役
風と雲と虹と(1976年)- 貴子 役
春の雪(1970年、フジテレビ)
白雪姫と七人の悪党たち(1971年、朝日放送制作・TBS)
花は花よめ(1971年 - 1973年、日本テレビ・第1・第2シリーズ)
女人平家(1971年 - 1972年、朝日放送) - 主演・平盛子・佑子 役
はーいただいま(1972年、TBS)
国境のない伝記 クーデンホーフ家の人びと[37](1973年、NHK)
愛をください(1974年、TBS)
TBS開局20周年記念番組 寿の日(1975年、TBS) - 石川紀代
新・座頭市 第14話「雪の別れ路」(1977年、フジテレビ)
日立スペシャル(TBS)
海は甦える(1977年) - 山本トキ 役
空よ海よ息子たちよ(1981年)
南十字星 コルネリアお雪異聞 わたしの山田長政(1978年、朝日放送)
鮎のうた(1979年 - 1980年、NHK)
夢千代日記(1981年 - 1984年、NHK)[38] - 主演・永井左千子(夢千代)役
一死、大罪を謝す(1981年、フジテレビ)
茜色の坂(1981年、朝日放送)
吉田茂(1983年、関西テレビ)
春までの祭(1989年、フジテレビ)
テレビアニメ
若草物語(1980年5月3日、フジテレビ) - ナレーター
ラジオ
お早う吉永小百合です(1967年 - 不明、文化放送)
吉永小百合 街ものがたり(1997年4月 - 2004年3月、TBSラジオ)
今晩は 吉永小百合です(2005年10月 - 、TBSラジオ)
ラジオドラマ
赤胴鈴之助(1957年1月 - 1959年2月、ラジオ東京)
まぼろし探偵(1959年2月 - 1960年10月、ラジオ東京)
人の知らない花(1962年8月 - 9月、TBSラジオ)
お父さん!大好き(1962年9月 - 1964年3月、ニッポン放送)
小百合は大学一年生(1964年4月 - 1965年1月、ニッポン放送)
白鷺の飛ぶ日に…(1965年4月、NHK第1)
二十歳(1966年1月、NHK第1)
斜陽のおもかげ(1967年、文化放送)
銀のしずく降る降る(1983年6月、NHK第1)
マディソン郡の橋(1993年12月、ニッポン放送)
CM
桃谷順天館 『明色アストリンゼン』(1970年代半ば)
キユーピー キユーピードレッシング(1972年)
トヨタ自動車 『トヨタ・クラウン』(1973年 - 1983年)
リコー 『マイツール』
三井ホーム(1983年 - 1998年、2003年 - 2004年[39]、2010年 - 2012年[39])
「吉永小百合 点描」(1992年) - 第32回ACC CM FESTIVALテレビCM部門優秀賞[40]
※1995年にはシングル「しあわせは少し遠くに」がCMに使われた
日本生命(1988年 - 1989年、1997年 - 1999年)
カルピス(1989年)
宝酒造
『松竹梅』(1998年 - 2000年)[41]
『松竹梅 天』(2016年)[39][41]
グロンサンCポ(中外製薬)
公共広告機構(現:ACジャパン)(1997年、1999年、2000年)
シャープ 『AQUOS』『SUNVISTA』『プラズマクラスター』『ヘルシオ』『BLACKSOLAR』 (2000年 - )[39]
雪印乳業( - 2001年)[39]
JR東日本
『大人の休日倶楽部』(2005年 - )[39]
『グランクラス』(2011年)[39]
「がんばろう日本」(2011年5月 - 7月)、東日本大震災復興推進キャンペーン[39]
カゴメ
植物性乳酸菌『ラブレ』(2005年 - 2009年)[39]
『野菜生活100』(2008年 - 2009年)[39] ※雪印時代から出演ほか
郵便事業『年賀状』(2008年)[39]
ソフトバンク(2013年9月3日 -)[39]
パイロットコーポレーション(2019年)
その他
NHK紅白歌合戦(※下記参照)
日本レコード大賞10周年記念音楽会(1968年12月28日、TBS)
橋幸夫と大賞受賞曲「いつでも夢を」を歌唱。吉永たちの歌唱シーンも含めカラーVTRが全編現存する。
夜のヒットスタジオ(フジテレビ) - 1969年3月31日放送(同番組のカラー放送開始初回)で歌手として初出演、当時の新譜「愛ある限り」を披露。以降、同年8月4日放送・1970年4月20日放送の計3回に歌手として出演。また、1984年10月1日放送では、当時の自身の主演映画「おはん」の同名主題歌を歌う五木ひろしの応援ゲストとして、同作品の原作者である宇野千代とともに特別出演している。
スター千一夜(1972年-1976年、フジテレビ) - 司会、ゲスト
日本歌謡大賞(フジテレビ) -1972年度司会
FNS歌謡祭(フジテレビ) - 第1-4回司会
吉永小百合ショー(1966年、日本テレビ)
きみはヒロシマを見たか〜広島原爆資料館(1982年8月6日、NHK総合)- 語り
YOU(1983年9月24日、NHK教育)
この人・吉永小百合ショー(1985年6月6日、NHK総合)
夢を駈ける女〜馬のない名騎手・井上喜久子 (1987年1月2日、NTV)- 語り
ミツコ 二つの世紀末(1987年、NHK)
未来からの贈りもの〜この星を旅する物語 (1995年3月`日、TBS)- 語り
ヒロシマ・ガールズ・50年目の夏 (1995年8月7日、フジテレビ)- 語り
祈るように語り続けたい(1997年・1999年・2000年、NHK-BS2)
「ぷっ」すまスペシャル ぷっすまVS吉永小百合 芸能界“天国と地獄”(秘)ハズカシ固めSP!!(2000年9月22日、テレビ朝日)
NNNドキュメント「チンチン電車と女学生 2003・夏・ヒロシマ」(2003年、広島テレビ) - 語り
特別対談番組「吉永小百合 石井ふく子 34年の絆」〜山本周五郎生誕100年記念によせて〜(2003年、TBSチャンネル)
森光子「放浪記」大いなる旅路(2005年5月22日、NHK総合)- 語り
戦後60年特別企画「ヒロシマ」(2005年8月5日、TBS) - 朗読
吉永小百合 言葉で平和を紡ぎたい(2007年8月9日、NHK総合)
絶景・人情列島“寅さん”が旅したニッポン(2008年8月13日、テレビ東京) - 語り
吉永小百合 被爆65年の広島・長崎(2010年8月6日、NHK総合)
証言 八十年目の真実 〜長島 そして ノルウェー〜(2010年11月28日、山陽放送) - 語り
NHKスペシャル「復活〜山田洋次・SLを撮る〜」(2011年7月16日、NHK総合)- 語り
笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号(2014年3月31日、フジテレビ)- タモリへのプレゼンター
SMAP×SMAP秋の超豪華SP (2014年10月16日、フジテレビ)
徹子の部屋 (2015年12月11日など、テレビ朝日) - 何度か出演経験がある。高倉健とともに出演したこともある。
マツコの知らない世界(2018年3月6日、TBS) -主演映画「北の桜守」の告知を兼ねての出演。これまであまり話す事のなかった夫との結婚秘話などを明かした。
プロフェッショナル 仕事の流儀「吉永小百合スペシャル」(2019年10月26日、NHK総合)
音楽作品
シングル
ビクターレコード

寒い朝/人の知らない花(1962年4月20日、VS-681)- A面は、和田弘とマヒナスターズと。
草を刈る娘/サンタマリアの鐘(1962年7月5日、VS-727)
いつでも夢を/あすの花嫁(1962年9月20日、VS-807)- A面は、橋幸夫とデュエット。
かわいい花の物語/雨とお嬢さん(1962年12月5日、VS-866)
虹子の夢/泥だらけの純情(1963年1月5日、VS-890)- A面は、和田弘とマヒナスターズと。
雪坊主/男なら(三浦洸一)(1963年2月、VS-928)
雨の中に消えて/太陽はいつも(1963年3月5日、VS-955)
フラワー・ニッポン/東京オリンピック音頭(1963年3月、SV-977)
若い東京の屋根の下/夜のブルース(橋幸夫)(1963年4月20日、VS-991)- A面は、橋幸夫とデュエット。
伊豆の踊り子/花だより(1963年5月5日、VS-995)
嫁ぐ日まで/天に向って(1963年8月、VS-1068)
君よ夕陽は沈んでも/通天閣の灯(1963年9月、VS-1106)
波浮の港/美しい暦(1963年10月、VS-1130)
きよしこのよる/ジングルベル(1963年10月、PV-53)
若い歌声/花は呼んでも(1963年11月5日、VS-1146)- 橋幸夫とデュエット。
光る海/こんにちわ二十才(1964年1月15日、VS-1181)
フレッシュ東京/ことしの春(1964年2月、VS-1183)
みどりの河/乙女のタンゴ(1964年4月、SV-15)A面は、三浦洸一とデュエット。
そこは青い空だった/空色のワルツ(1964年4月25日、SV-)- A面は、橋幸夫とデュエット。
この夕空の下に/ごめんねチコちゃん(三田明)(1964年5月20日、SV-52)
風と樹と空と/いつかあなたに(1964年7月、SV-74)
愛と死のテーマ/乙女の旅愁(1964年9月20日、SV-123)
瀬戸のうず潮/うどんの唄(1964年11月、SV-141)
若い二人の心斎橋/いとはん可愛いや(1964年10月25日、SV-138)- 三田明とデュエット。
愛のしあわせ/若草物語(1965年3月5日、SV-202)- 橋幸夫とデュエット。
明日は咲こう花咲こう/甘えさせてママ(伊藤アイコ)(1965年4月5日、SV-231)- 三田明とデュエット。
未成年/キューポラのある町(1965年5月、SV-233)
小百合おけさ/恋のおけさ笠(1965年6月、SV-251)
娘たちのこよみ/赤いりんご(1965年8月、SV-269)
天満橋から/奈良の春日野(1987年、SV-289)
小百合の花詩集/春の乙女(1966年12月、SV-351)
ねむの木の子守唄/ねむの木の子守唄(器楽曲)(1966年3月、SV-401)
夢みる港/あの娘は街へ(1966年4月15日)- 橋幸夫とデュエット。
哀愁のアムステルダム/風車のある街(1966年6月、SV-429)
幸せが私を見つけた/花と愛と(1966年9月、SV-458)
勇気あるもの/海に泣いてる(1966年10月30日、SV-483)- A面はトニーズと。B面はトニーズのみ。
わたしは毬藻/想い出よさようなら(1966年2月、SV-524)
世界の国からこんにちは/みどりの広場(1967年3月、SV-533)
街のハト/みんなで行こう(1967年3月、SV-539)
愛の世界/恋人たち(1967年5月、SV-615)- トニーズと。
思い出のレコード(1967年6月、SV-571)
ひとりの時も/こんなに愛してるのに(1967年7月、SV-587)- A面は、荒木一郎と。
恋の歓び/オレンジの木の下で(1967年9月、SV-615)
娘たちはいま/風の中を行く(1967年11月、SV-647)
夕陽のマリア/星空の思い出(1968年2月、SV-666)
鏡の中の私/わたしの歩く道(1968年4月、SV-694)
坂道のクラブ/真夜中のあなた(1968年6月、SV-709)
風の中の青春/恋のサンタモニカ(1968年10月、SV-755)
マロンの恋/雪の中のジュリエット(1968年12月、SV-777)
もうすぐ陽がのぼる/銀色のトランペット(1969年8月、SV-869)
愛ある限り/遠くへ行こう(1969年10月、SV-1044)
野麦峠/飛騨地方の子守唄(1969年10月、SV-1061)
未来あるもの/さようなら青春(1970年7月、SV-1079)
人生の夜明け/だから今日だけ(1970年3月、SV-2015)
ちいさな命/自然に帰ろう(1970年10月、SV-2094)
遠い空の彼方に/小鳥は自然に飛ぶものです(1971年8月、SV-2162)- B面は、五つの赤い風船と。
道ふり赤ベコ/小萩人形(1972年2月)
夢千代日記/夢の中から(1984年11月21日、SV-7439)
キャバレーフラミンゴ(1986年4月)
天満橋から/奈良の春日野(1987年、SV-9237)
しあわせは少し遠くに(1995年11月22日)
アルバム
ビクターレコード

吉永小百合ヒットソング(1962年)
小百合とあなた(1963年、JV-5089)
小百合ちゃんの夢のピアノ・アルバム(1965年、SJV-92)
吉永小百合リサイタル〜詩人〜(1966年、SJV-213)
吉永小百合ベストヒット 愛の世界(1967年)
吉永小百合とともに(1967年、JV-256/57-S)- ライブ・アルバム
ふるさとのおもちゃの唄(2007年)
吉永小百合映画歌謡曲(日活編)(2008年)- 日活映画に残した歌声を映画音源から収録(全67曲)。
吉永小百合ベスト100〜いつでも夢を、いつまでも夢を〜(2012年)
NHK紅白歌合戦出場歴(歌手として)
年度/放送回曲目出演順対戦相手備考
1962年(昭和37年)/第13回寒い朝12/25坂本九
1963年(昭和38年)/第14回2伊豆の踊子11/25北原謙二
1964年(昭和39年)/第15回3瀬戸のうず潮23/25橋幸夫
1965年(昭和40年)/第16回4天満橋から15/25森繁久彌
1966年(昭和41年)/第17回5勇気あるもの15/25加山雄三
第14回、第16回、第17回は吉永の歌の映像が現存する(第16回はカラー映像)。
第13回、第15回は吉永の歌のラジオ中継の音声が現存する。
(注意点)

対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
朗読CD
第二楽章(1997年) - 広島の原爆詩を朗読
第二楽章・長崎から(1999年)
第二楽章・沖縄から「ウミガメと少年」(2006年) - 野坂昭如の戦争童話集を朗読
『第二楽章 : ヒロシマの風』(男鹿和雄画、角川文庫、2000年)
『第二楽章長崎から : 画文集』(男鹿和雄画、講談社、2000年)がある。
第二楽章・福島への思い(2015年)
書籍
著書
『夢の続き』(世界文化社、2007年)
『Sayuri 吉永小百合アルバム』(マガジンハウス、2004年)
『吉永小百合街ものがたり』(講談社、1999年 / 講談社+α文庫、2003年)
『旅に夢みる』(講談社、2003年)※紀行エッセイ
『夢一途』(主婦と生活社、1988年 / 集英社文庫、1993年)※自伝
新版「人間の記録122」(日本図書センター、2000年)
共著
『憲法を変えて戦争に行こう - という世の中にしないための18人の発言』(岩波ブックレット:岩波書店 2005年、ISBN 4000093576)
井筒和幸・井上ひさし・香山リカ・姜尚中・木村裕一・黒柳徹子・猿谷要・品川正治・辛酸なめ子・田島征三・中村哲・半藤一利・ピーコ・松本侑子・美輪明宏・渡辺えり子と共著。
のち九条の会に賛同。
岸惠子との対談集『歩いて行く二人』(世界文化社 2014年)
編集
『ヒロシマの風 伝えたい、原爆のこと』(角川つばさ文庫 2014年)
『ナガサキの命 伝えたい、原爆のこと』(角川つばさ文庫 2015年)
伝記ほか
片岡義男 『吉永小百合の映画』(東京書籍、2004年)
関川夏央 『昭和が明るかった頃』(文藝春秋 のち文春文庫) - 日活時代が詳しい。
脚注
[脚注の使い方]
^ 【週刊・吉永小百合】若さ、美貌の秘訣!?サユリスト必見の食生活
^ a b c d e f 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.22.
^ 諒解〔りょうかい〕この漢字で記されていた。
^ 近代映画 近代映画社 1970年2月号 84頁。
^ a b 「吉永小百合 封印された肉食系「愛欲生活」(3)恋愛禁止令を守らなかった」、アサヒ芸能、2012年1月5日、2012年12月25日閲覧。
^ (『朝日新聞版 寅さんの伝言』小泉信一/講談社)
^ 「吉永小百合「ソープ嬢も乗り気でした」」、アサヒ芸能、2012年10月24日、2012年12月25日閲覧。
^ a b 「吉永小百合 封印された肉食系「愛欲生活」(4)「くわえてしゃぶる」エロ俳句」、アサヒ芸能、2012年1月6日、2012年12月25日閲覧。
^ a b 岡田茂『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、294-295頁。ISBN 4-87932-016-1。
^ 岩下は「20代の頃、『オセロ』に出演したが、舞台の面白さを自分の中で実感できず、舞台は一回だけ」と話している。
^ ただし、2018年公開の「北の桜守」では、作中で舞台劇に出る場面があり、女優人生では“初の舞台出演”として報じられた。https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1858567.html
^ 『あゝひめゆりの塔』DVD特典映像
^ 1990年に出版された本において放送作家の永六輔は、「原爆は勿論、原発もいりません 吉永小百合」という署名を見て、ファンでよかったと嬉しく思ったと書いている。文藝春秋編『女優ベスト150 わが青春のアイドル』文春文庫、1990年、69頁。
^ “「地震国 原発なくなって」 広島の「母親大会」で吉永小百合さん語る - 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター” (2011年8月1日). 2012年8月21日閲覧。
^ asahi.com2011年7月31日
^ “おはようコールABC (2018年1月18日放送回)”. gooテレビ番組. 2018年3月22日閲覧。
^ “映画「北の桜守」吉永小百合さんら舞台あいさつ 兵庫・姫路の映画館]”. 産経WEST (2018年1月19日). 2018年3月22日閲覧。
^ これらの少女時代の体験は、2017年1月8日東京新聞 朝刊 『私の十本』から。
^ a b 『女性自身』1981年5月14日・21日合併号。
^ 「女流酒豪番付にみるメトラの顔ぶれ」『週刊ポスト』1972年1月21日号、小学館、 32頁。
^ 「〔LOOK〕 中国で実力発揮 吉永小百合の酒豪ぶり 強いはずの映画各社社長も驚くばかり」『週刊現代』1979年9月27日号、講談社、 53頁。
^ “吉永小百合「多情交遊の履歴書」(4)忘年会で使用済み水着をオークションに”. アサヒ芸能. 徳間書店 (2013年8月14日). 2017年12月21日閲覧。
^ “第11回 主務部屋 「毎年恒例!吉永牛」”. 早稲田大学ラグビー蹴球部 (2012年8月21日). 2017年12月21日閲覧。
^ 『完璧版 テレビバラエティ大笑辞典』
^ 吉永小百合『夢一途』(主婦と生活社)
^ “第19回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2014年11月14日閲覧。
^ “日本アカデミー賞優秀賞決定!”. (2015年1月14日) 2015年1月17日閲覧。
^ 『オールタイム・ベスト映画遺産 日本映画男優・女優100』 ISBN 978-4873768038 (2014年12月、キネマ旬報ムック)
^ “吉永小百合、国枝慎吾らに菊池寛賞”. スポーツ報知 (2015年10月14日). 2015年10月14日閲覧。
^ “山田涼介、『日本映画批評家大賞』新人賞受賞 浅野忠信の激励に感謝”. ORICON STYLE. (2016年5月26日) 2016年5月27日閲覧。
^ “小百合 原爆詩の朗読で“平和活動賞”「今後も続けていきます」”. スポニチアネックス. (2016年10月28日) 2016年10月28日閲覧。
^ 『歩いて行く二人』で一番好きな役はジュン役だったという。
^ “手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-”. 手塚治虫公式サイト. 2016年6月30日閲覧。
^ “[松山ケンイチ]ラブコール実り役を手中に 劇場版アニメで吉永小百合と初共演”. マイコミジャーナル. 2013年8月19日閲覧。
^ “吉永小百合120本目の出演作で堺雅人と母子役、監督は滝田洋二郎”. 映画ナタリー. (2017年2月15日) 2017年3月22日閲覧。
^ “吉永小百合&天海祐希、日本版『最高の人生の見つけ方』で18年ぶり共演”. シネマトゥデイ. (2019年1月17日) date= 2019-01-17閲覧。
^ 国境のない伝記~クーデンホーフ家の人びと - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
^ 番組エピソード 早坂暁と「NHKドラマ」 NHKアーカイブス
^ a b c d e f g h i j k l “吉永小百合のCM出演情報”. ORICON STYLE. 2016年11月30日閲覧。
^ 放送ライブラリー 番組ID:A23136
^ a b “渡哲也 15年ぶり吉永小百合と共演!初共演から50年目の記念の年に”. スポニチアネックス. (2016年8月25日) 2016年8月25日閲覧。
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、吉永小百合に関連するカテゴリがあります。
吉永小百合 - 日本映画データベース
吉永小百合 - allcinema
吉永小百合 - KINENOTE
吉永小百合 - Movie Walker
吉永小百合 - インターネット・ムービー・データベース(英語)
吉永小百合 - テレビドラマ人名録 - ◇テレビドラマデータベース◇
吉永小百合 - NHK人物録
“吉永小百合 1945年生まれ。「キューポラのある街…:日本の大女優 写真特集”. 時事ドットコム. 2016年10月24日閲覧。
吉永小百合 ホームページ(非公式)
[表示] 受賞
[表示]
表・話・編・歴
FNS歌謡祭総合司会
典拠管理
WorldCat IdentitiesGND: 173272355ISNI: 0000 0000 8295 9397LCCN: n96042507MusicBrainz: 334da338-dca9-4648-b3bb-b636c879bfc4NDL: 00097799NLA: 36028676VIAF: 109633457
Asia (orthographic projection).svgアジアポータルFlag of Japan.svg日本ポータルPortal-puzzle.svg東京都ポータルVideo-x-generic.svg映画ポータルBlank television set.svgテレビポータルPortal-puzzle.svgドラマポータルP vip.svg人物伝ポータル
カテゴリ: 吉永小百合日本の女優日本の女性歌手日本の子役日本のアイドル文化功労者紫綬褒章受章者ビクターエンタテインメントのアーティストNHK紅白歌合戦出演者日本レコード大賞受賞者埼玉西武ライオンズ関連人物日本の鉄道に関係する人物日活の俳優反戦運動家反核兵器活動家早稲田大学出身の人物東海大学付属市原望洋高等学校出身の人物東京都区部出身の人物菊池寛賞受賞者1945年生存命人物
案内メニュー
ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログイン
ページノート
閲覧編集履歴表示検索
Wikipedia内を検索
メインページ
コミュニティ・ポータル
最近の出来事
新しいページ
最近の更新
おまかせ表示
練習用ページ
アップロード (ウィキメディア・コモンズ)
ヘルプ
ヘルプ
井戸端
お知らせ
バグの報告
寄付
ウィキペディアに関するお問い合わせ
ツール
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ
この版への固定リンク
ページ情報
ウィキデータ項目
このページを引用

他言語版
English
Español
Français
한국어
Português
Русский
中文
他 4
リンクを編集
他のプロジェクト
コモンズ
印刷/書き出し
ブックの新規作成
PDF 形式でダウンロード
印刷用バージョン
最終更新 2020年6月11日 (木) 06:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。
プライバシー・ポリシーウィキペディアについて免責事項開発者統計Cookieに関する声明モバイルビューWikimedia FoundationPowered by MediaWiki


# by maiu134 | 2020-06-20 12:47

コメント

このブログの人気の投稿

ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相

ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相

ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相