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ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 1950 9 17生 18代インド首相 前グジャラート州首相

 

2015年01月

◇ 神様として崇められる牛
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気温や交通事情もさることながら、インドへ初めて来た人にとってまず驚くのは、至る所で歩き回る牛の存在であろう。インドは世界の牛の約6分の1を保有する世界一の牛保有国であるそうだが、シヴァ神の乗り物である牛は、ヒンドゥ教徒の間で神聖視されており、自由に徘徊したり寝転んだりすることが許容されている。
このためか牛には緊張感が全く感じられず、どこか達観したような顔で練り歩いており、渋滞を引き起こしたり、車と衝突したりすることも多い。
地元インド人に話を聞くと、半数くらいは飼われている牛で、野放しにして勝手に餌を食べに行かせることで餌代が掛からないようにしていると言っていた。(牛乳を供給してくれる牝牛が重宝され、牡牛は野良が多く痩せている)
牛たちは昼間は道端の草を食べに出掛け、夕方になると人の集まる場所へ来て、捨てられた果物の皮などを食べている。

面白いのは、露店で野菜を狙う牛と八百屋の主人の攻防が見られる一方、店の前で人間が捨てるのを近くでじっと眺めて待っている牛も多いことだ。おそらく後者は盗み食いをすると叱られるということを学んでいるのだろう。
こうして人間社会の中に勝手に溶け込み共存している。

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これだけ牛が多いと落ちている牛糞の量も半端ではないが、インドの民は牛糞も上手く利用している。
肥料として使うのはもちろん、その他にも様々な活用法が見られる。
田舎の地域では、牛糞に藁を混ぜて丸くしたものを壁などに貼り付けているのをよく見掛ける。これは乾かして料理などの煮炊きに使う燃料にするそうだ。丸めて「牛糞団子」にしているところもある。
インドでは電気を使わず、牛糞と薪を燃料としている世帯が全体の半分近くもあるとのこと。
また独特の不浄観を持つインド人にとって乾燥牛糞は浄性が高いと見られており、儀礼の際の調理に使ったりもする。インドの民は、牛の体から出るものも神聖なものと考えているようだ。更にインドの伝統的な家庭では、牛糞に土を混ぜて床や壁に塗ったりもする。牛糞には防虫効果や殺菌作用もあるらしい。臭いが気になるところだが、乾燥させると臭うことは無いとのこと。

さすがインドのお牛さま。


いつもの様に悠々と練り歩くお牛さまと、いつでもどこでも暴走ノンブレーキのトラック
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お牛さま危ない!
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しかし平然とかわすお牛さま
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その先にいたインドの民は・・・
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避けきれず・・・
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これも日常の光景である・・・

◇ Kapaleeshwar寺院
雨季真っ只中の10月。休日で久しぶりの快晴であったことから、インド文化の大きな特徴のひとつであるヒンドゥ寺院へ行ってみることにした。目的地はチェンナイ最大のKapaleeshwar寺院だ。
Kapaleeは「どくろの鉢」、shwarは「シヴァ神」を意味するそうで、色々なゴープラムがある美しい寺院だと聞いていた。市街からマリーナ・ビーチを抜けて程なく到着。周辺道路の雰囲気は市街地と特に変わらない。
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ただ寺院が近いせいもあって、神様の人形や、お参りで捧げる花を売っている店が多い。
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ヒンドゥ寺院の前には大きな浄めの池があり、沐浴をする風景をよく見掛ける。どこの池にも共通しているのは、驚くほど汚れていることだ。こんな水質で本当に浄められるのだろうかと思いながら塔門付近まで歩いてきた。
ヒンドゥ寺院は外国人が入れないところが多いのだが、特に注意書きも無かったので「怒られたら出ていけばいいか」と入ってみることにした。
塔門から中は土足厳禁なので靴を脱がなければならない。ただし外に脱いでおくと盗まれることがあるのでカバンに入れていこうとした。すると横にいた出店の老人が「ダメだ、靴はここに置いていけ」と言ってきた。靴を持って入ることもダメらしく、言われた通りにすると「見ててやるからチップをくれ」と要求してきた。
仕方なく10ルピーを渡すと、老人はにっこり微笑んで一言。
「これでお前の靴は安心だ!」

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ようやく寺内へ。
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ここはシヴァ神を祀るドラヴィダ様式の寺院で、高さ40mのゴープラムには何万体もの色鮮やかな神々が彫られている。
ところで10月は暑さのピークを過ぎたとはいえ、日中は30度を超えている。普段裸足で外を歩く習慣が無い者にとって、灼熱の太陽に焼かれた石の上を歩くことは即火傷を意味する。
しかし教徒たちは普段素足で生活することが多いだけあって、顔色一つ変えず歩いている。
あまりの熱さに日陰を選んで飛び跳ねていると、予想通り周囲の冷たい視線を感じる。
奇妙な動きをする外国人だと思われたに違いない。
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聖堂にはヒンドゥ教徒しか入れないので、中庭を一回りしてみた。
それにしても裸足で歩いていると、熱さだけではなく尖った石やガラスなどにも気を付けなくてはならない。インドの民の足の裏は、一体どうなっているのだろう。
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聖堂付近は撮影禁止であったため僧侶の姿は撮れなかった。お供え物やお金を渡して、何やら儀式を行っていた。
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帰りに靴を取りに行くと、出店の老人は既に店じまいして跡形もなく姿を消しており、靴だけが路上に放置されていた・・。

こういう出来事は日常のインド。

まあ無くならなかっただけでも良しと考えよう。


◇ マリーナ・ビーチ
チェンナイには世界で2番目に長いと言われている(真実か否かは定かではない)マリーナ・ビーチがある。
ベンガル湾に面したこのビーチは、Adyar川の河口 からCoovam川の河口まで約5kmの砂浜が続いており(13kmという話もあるが)、遥かインド洋を眺めることができる。夕方になると、どこからともなくインドの民が集まってきて大賑わいになる。特に何かをするわけでもなく、ただブラブラしているだけなのだが・・・。
初めてここを訪れたのが夕方で大混雑しており、とても外国人が一人で歩き回れる雰囲気では無かったため、改めて人の少ない日中を選んで散策してみた。(暑いのは我慢)
まずは市街からAdyar川沿いの道を進んでいくと、間もなく波打ち際に近い砂浜が見えてくる。遠目には美しく見える海岸も、近くで見ると街中と同様にゴミだらけだ。インドの民は何でもどこにでもポイポイとゴミを捨てる。
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そのゴミを目的に動物たちが集まってきて、さらに散らかしている。
この付近には漁師が多く住んでおり、道端で魚を売って生活しているのだが、そのためチェンナイ特有のゴミ臭に生臭さが加わって、何とも言えない匂いが漂っている。
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沿道には魚を売る漁師たちが並んでいたので、興味本位で覗き込むと「買っていけ」と訴えてくる。
何の魚なのか、いつどこで誰が捕ったものなのかも判らない。この炎天下の中で既に発酵しているだろう。カラスにつつかれたような跡もある。丁寧に遠慮させてもらった。
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道路の反対側には漁師たちの家がある。
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 魚市場もどき?
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海岸線一帯は2004年のスマトラ沖地震による津波で壊滅した。いまだに破壊された建物の瓦礫や残骸が放置されており、その被害の大きさを物語っている。更にその残骸の中で生活している人々も少なくない。
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漁師の居住地帯を抜けると、急に砂浜の幅が広がって波打ち際が遠ざかっていく。
この辺りから人が集まるところになる。「人が来るところに商売あり」と色々な店が徐々に出現し始める。
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娯楽が殆どないインドでは、写真に見える超小型の観覧車?らしき乗り物に人気があるようだ。もちろん人力で回す。安全規格も無ければ点検などという言葉も無い。設置も適当で傾いている。壊れたら有りあわせの材料で応急処置するだけ。使い物にならなくなったら、そのまま放棄。まあインドらしいといえばそれまでだが・・。
中には手作りで動力系を取り付けたものもあるのだが、信じられないスピードで高速回転して乗客を振り落とす。振り落される乗客も、それを楽しむ。
恐るべしインド・・・。

更に進んでいくと昼間でも賑わう出店ストリートがあり、ありとあらゆるものを売って商売している。
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<出店ストリート、さとうきびジュース>

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<何かの練り物揚げ屋>

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<インドの映画スターと写真を撮る商売(有料)>

中には「案内してやるから50ルピーくれ」とか、「荷物を持ってやるから100ルピーくれ」とかいう輩も寄ってくる。
商魂たくましいインドの民である。 

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これまでインドの世界遺産ばかりだったので、この辺でチェンナイについて何回かに分けて紹介していきましょう。

◇地理・気候
チェンナイは、南インドの東側コロマンデル海岸沿いのベンガル湾に面するタミル・ナードゥ州の州都である。(1977年以前はマドラスと呼ばれていた地域)
熱赤道上に位置しており、ケッペンの気候区分でサバナ気候に属する。年間を通じて高温多湿である。
10月中旬から12月中旬にかけてモンスーンの時期となり、ほとんどの降雨がこの時期となる。またベンガル湾からサイクロンが度々襲来する。水捌けの悪いインドは、すぐに道路が川と化す。

<昨年11月、近くにサイクロンが来た時の道路の様子>
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また2004年にインド洋沖地震による津波がチェンナイ周辺の海岸を猛撃し、大被害を受けたのは記憶に新しい。この地域は津波によって大打撃を受け、海岸線沿いの地形は永久的に変わってしまった。

◇民族
主要民族はドラビダ系のタミル民族であり、最も話されている言語はタミル語である。ヒンディ語の公用化に激しく抵抗し、北インドのアーリヤ民族の優位性を否定してきた経緯がある。昔からのインド独自の文化が色濃く残っているのが特徴。インド人の約7~8割がヒンドゥ教徒であると言われているが、南インドはその比率が更に高くなる。

<ヒンドゥ教寺院: 市内の至る所に点在する>
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◇習慣
チェンナイのみならずインド全体に関することだが、インドは他国と異なる社会ルールが多く存在する。これは社会的・宗教的教義が深く定着しているためである。特にヒンドゥ教徒はベジタリアンが多くアルコールを飲まない。インド社会での最大のタブーは足と左手にかかわることである。足は体の中で最も低い部分であり、足で誰かに触ったり指差したりなどは絶対にしてはいけない。ヒンドゥ教の寺院に入る場合は必ず靴を脱ぐ。ヒンドゥ教で左手は不浄の手とされており、食事や宗教的な目的では右手のみを使う。

◇治安
チェンナイはインドの中でも比較的安全で、デリー、ムンバイ、カルカッタなどの大都市より犯罪率は低い。ほとんどの犯罪は、観光地や交通の要所などに見られるスリである。但し昨年(2014年)にチェンナイ中央駅で爆発事件が発生するなど、何が起きるか判らないので油断は禁物。

◇市街地
人人人・車車車・バイクバイク・リクシャリクシャ・牛牛犬犬羊豚などでごった返している。
交通ルールはめちゃくちゃで、逆走などは当たり前。少しでも隙間があれば我先にと割り込み、譲り合いなどという悠長な言葉は微塵も感じられない。
特に中心地は渋滞が激しく、主要な交差点にしか信号が無いのでクラクションが鳴り止むことはない。
鉄道車両や路線バスにドアは無く、走っている途中でも自由に乗り降りしている。車内に入りきれず、車体にしがみついてぶら下がっている人も良く見掛ける。バイクは3人4人乗りが普通。全ての乗り物において「定員」などという概念は存在しない。
この状況に加えて、気の向くまま自由に歩き回る動物も絡んでくるから、ますますややこしい・・・。

WHO統計によると、チェンナイは交通事故の死者数が世界ワースト1位とのこと。
歩行者優先のマナーに慣れた日本人にとっては、インドの道路を歩くこと自体が危険行為となる。


今日のところはこの辺で。 詳しい状況は、また回を分けて紹介していきます。

◇ タージ・マハルからアグラ城へ
次の目的地アグラ城までは、タージマハルから約1km。歩いて行ってもいい距離だが、気温も上がってきて蒸し暑いので馬車に乗ってみることにした。
さっきのラクダ車と違って今度は早い。公道を使うので、周囲の車やオートリクシャと一緒に走る。10分ほどでアグラ城の入口へ着いた。
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◇ アグラ城(世界遺産)
アグラ城は、ムガル朝の第3代皇帝であったアクバルが築いた居城だ。その城壁はデリーのレッド・フォートと同様に赤砂岩が使われている。
17世紀に首都がアグラからデリーに移されてからは凋落の一歩を辿り、その後のセポイの反乱によって沈んでいったらしい。現在の城はかなり修復されたものらしいが、その存在感は圧巻で、当時皇帝の強大な権力が伺い知れる。
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この壮麗な西門をくぐると、 アクバル帝によるジャハーンギール殿が見えてくる。アクバル式の建物で、左右対称のファサードの上にはチャトリ(小塔)が両端に載り、赤砂岩の壁面には白大理石の象嵌がある。
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更に奥に進むと、寝殿(ハース・マハル)とペルシャ風のアングリー庭園が現れた。
内部のアラベスク模様や透かし彫りが美しいこの寝殿から、ヤムナ河越しにタージ・マハルを見ることができた。
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アングリー庭園を抜けると、ディーワーニ・アーム(公謁殿)が現れた。白大理石による三廊式の列柱ホールで、この前庭は宮廷地区とデリー門からの市街と大モスクとを結ぶ広場である。皇帝はここで市民の訴えを聞き、裁きを下していたそうだ。高さ7メートルのアーチが9連もつづくファサードは圧巻だ。中央の奥には一段高い玉座が設けられていた。
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最後の目的地であったアグラ城も無事に終了。

タージ・マハルの大理石の壁面や棺の周囲は、綺麗な象嵌細工で飾られているのだが、象嵌細工をしている土産店があるというので行ってみた。店の前では加工職人が見事な技術で細工を施している。様々な色の半貴石を丁寧に削り、大理石のプレートに接着していく。形が合わなければ何度も磨きを繰り返す気の遠くなる作業だ。自動設備では作れないものを、コストの安い人力・手作業で作り上げていく。インドならではの光景だ。
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日本では手に入らない様なので、ひとつ買っていこうと思い交渉を始めたが、値引きは出来ないとの返事。「じゃあいらない」と言うと、象の彫刻を持ってきて「これをオマケに付けるよ~」と食い下がってきたので交渉成立。

値段をよく見たら、どちらも単品価格は殆ど同じだった・・・。 
こういうところが、さすがインド。

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◇ タージ・マハルへの道
3日目の朝。今日はついに本命の世界遺産へと向かう日だ。
デリーからタージ・マハルまでは約250km。車で約4時間かかることから、朝5時半に出発することにしている。
ホテルのレストランがまだ始まらない時間なので、朝食抜きでチェックアウトして、ドライバーとの待ち合わせ場所へと向かう。まだ薄暗いこともあり、車に乗り込むといつの間にか眠り込んでしまった。
気が付くと、朝焼けでオレンジ色に染まった高速道路を疾走していた。この道は、タージ・マハルのあるアグラとデリー間に最近完成したばかりの「ヤムナ高速道路」だ。詳細な説明は割愛するが、道路整備の遅れているインドにおいて、この高速道路は革新的な意味とともに様々な「課題」も抱えているらしい。
案の定、その課題の(ほんの)一部をすぐ目にすることができた。
1. 逆走してくるバイクや車両がいる。
 (これは一般道でも見慣れた光景。特に気にならなくなってしまった自分が怖い)
2. パンクや故障している車を多数発見。
 (インドで走っている車は基本 的に整備不良で、タイヤはツルツル)
3. 山のような荷物を積んだトラックが横転。
 (積載オーバーという次元ではない積み荷・・・唖然とする量)
4. 何頭もの牛が路肩を歩き、犬や猿も走り回っている。
 (おそらく動物を避けてクラッシュしたのであろう激突跡が多数)
前置きが長くなってしまったので、この辺で止めておくが、インドにおけるビックリ情報を書き始めると本当にキリがない。とにかく、どんな道であろうと、車もバイクも動物も「道路を自由に使う」ということだ。

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 <正式な乗車方法>

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<途中で牛渋滞>

そうこう楽しんでいる(?)うちに、タージ・マハルの駐車場に到着。ここからタージ・マハル入口までは少し距離があるため、観光客(特に外国人)目当ての人力車・馬車・牛車などが沢山いた。ここでも「日本人(カモ)が来た!」と言わんばかりに一斉にワンサカ集まってくる。払いのけようとも思ったが、その中にラクダ車が目に留まり、好奇心の誘惑には勝てず乗ることにした。ガツガツ言い寄ってくるオヤジ達を掻き分け、後方で控えめだった青年のラクダ車を選んだ。
恨めしそうに青年を睨むオヤジ達を横目に、車内に乗り込んで出発だ。
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「じゃあ行ってくれ」と期待を膨らませて青年に声をかけると、「OK. Sir」と小さな返事。
動き始めると、これがまた遅い・・・。「動く歩道」よりも遅い。歩行者に追い抜かれながら、200mほどを10分という驚異的な記録を叩き出し、ようやくチケット売り場に到着した。
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◇ タージ・マハル(世界遺産)
そしてついに目的地! チケット(250ルピー)を買い、敷地内へ足を踏み入れる。
まず見えてきたのがタージ・マハル正門(大楼門)だ。赤砂岩づくりで高さ約30m。イスラム建築に多用される大きなアーチを持つイーワーンであり、中央の尖状アーチの周囲には蔓草のようにコーランの文字が刻まれている。
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大楼門に入るとタージ・マハルが姿を現す。尖頭型の窓から眺めている様な感じがする。
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ついに辿り着いたタージ・マハル!
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タージ・マハルは、17世紀にムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟であり、インド・イスラム文化の代表的建築だ。
華美な装飾を避けて大理石の白さにこだわっているのが良くわかる。基壇の四隅にミナレットを配置していることで、かなり安定感が出ている感じだ。完璧な シンメトリーと大理石による純白がとにかく美しく、ムガル建築の集大成であるとも言われている。まだ午前中の10時であることから、観光客も少なくて空間的な広がりも満喫できた。

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<ちょっとイタズラ写真と、サングラスに反射するタージ・マハル>


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タマネギ型丸屋根の上には9.3mの頂華が付けられていて、地上からの高さは74.2mである。
基壇の幅は95.4m。四隅のミナレットは高さ42m。
靴を脱げば中にも入れるので、ゆっくり堪能してきた。

(次の記事へ続く)


◇ フマユーン廟(世界遺産)
オールドデリーを後にして次に向かったのは、ムガール帝国第二代皇帝フマユーンの遺体を安置したフマユーン廟だ。16世紀中ごろにフマユーン王妃が亡き王に贈った墓廟である。イスラム建築の傑作とされており、タージ・マハルのモデルにもなったらしい。タージ・マハルは、王が亡き妻に贈った墓廟というものなので、その逆の意味をもった建造物だ。何とも感慨深いものがある。ムガール朝の建築に共通する赤砂岩と大理石を使った優美な建物であり、パステルカラーの壁面と軽やかな赤と白のデザインは現代的でさえある。夕陽を受けると一段と美しいだろう。建物内部はガランとした空洞で、いくつかの棺が置かれているだけだった。巨大な建物にしては意外なほど小さく感じたのは自分だけだろうか・・。建物の周囲は手入れの行き届いた綺麗な庭園となっていて、人も少なく、ゆったりとした気分で世界遺産見物ができた。
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<7mの基壇の上に21mの墓廟がある>

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<中央墓室>

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<正八角形のイサ・カーン廟>

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<西門からフマユーン廟を望む>


◇ クトゥブ・ミナール(世界遺産)
更に数キロ南下して、本日3か所目の世界遺産であるクトゥブ・ミナールへ到着。
ここには高さが72.5mの世界で最も高いミナレットがある。12世紀末にインドに進出したトルコ系軍人アイバクが建造したもので、ミナレット基部の直径は14.5mとのこと。5層のうち下3層は赤砂岩、その上は大理石と砂岩で築かれ、コーランの文句を図案化した彫刻が外壁に刻まれている。また塔の下には、インドで最初のイスラム教モスクの跡が残っており、ヒンドゥとイスラムが混在した様式となっている。
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<アーチ・スクリーン 中央奥にクッワト・アルイスラム・モスクの鉄柱が見える>

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<アラーイ・ミナールの墓部>

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<クトゥブ・モスクの回廊>

ここで雲行きが怪しくなってきたと思ったら、突然雷雨が襲ってきた。バケツをひっくり返したような降雨に慌てて遺跡の蔭へと逃げ込むと、稲妻の閃光とともに耳を劈くような轟音が響き渡る。近くに落雷したようだ。 「そういえば、こんな高い塔の真下にいて落雷は大丈夫だろうか?」 「いやいや、塔は砂岩で出来ているし・・」 「いやまて。てっぺんには金属の飾りがついていたぞ」 などと自問自答を始めた。
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この国ではリスクを回避する能力がないと、たちまち事故やトラブルに巻き込まれるので、常に先を読んだ行動が求められる。とりあえず濡れるのは我慢して、塔から少し離れた遺跡の隙間で雨宿りとした。
そんな中、周囲のインド人たちは、怯えるもの(特に老人)・平気で歩き回っているもの(特に若い男性)と様々な反応を見せていた。

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<豪雨でも平気で歩き回るインドの民>

1時間ほど待って小雨となったタイミングで、ドライバーの待つ駐車場へと走った。
これでデリー周辺の目的地は全て廻り終えたが、豪雨以外にトラブルが無く、スムーズ過ぎて逆に不安になったりする、これはインド病だろうか?


◇ デリー近郊の世界遺産巡りへ
贅沢にも、今日は1日で3か所もの世界遺産を廻る予定だ。
ホテルで朝食をとり、2日間雇ったドライバー(写真撮るのを忘れた)と共にスタート。

まずはデリーのラージ・パト通り(Rajpath)へと向かう。
ラージ・パト通りはデリーの中心にある大きなストリートで、西端に大統領官邸があり、その両側には政府の庁舎が並んでいる。いわばインドの官庁街である。この辺りはとにかく広々としており、通りの両脇には芝生が敷き詰められた広場になっている。池もあって木々が並ぶ気持ちのいい空間だ。これまでのインドのイメージが180度変わってくる。

◇ 大統領官邸
すると間もなく見えてきたのは、国家元首の公邸としては世界最大規模を誇るニューデリーのインド大統領官邸だ。4階建てで床面積が19平方キロメートル、部屋の総数は340室という立派なこの建物は、ムガール様式と西洋の伝統的な建築様式が入り混じった建築スタイルとなっている。ここは内門までしか一般公開されていないとのことで警備が厳しいらしく、ドライバーも恐る恐るスピードを落として写真を撮るのに協力してくれた。
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◇ インド門(India Gate)
官邸の入り口でUターンして、そのまま後方へ一直線に車を走らせると、遥か先にインド門が見えてくる。インド門は、第一次世界大戦で戦死したインド兵士の慰霊碑で、壁面には戦没者1万3500人の名前が刻まれている。高さは42mあり、門下には24時間365日追悼の意を込めて火が焚かれている。インド門の下は立入禁止になっていて門をくぐることは出来ないので、近くから眺めるだけとなった。
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<インド門を背にすると、直線道路で大統領官邸と向かい合っている>

◇ レッド・フォート(世界遺産)
デリー中心から南下してほどなくレッド・フォートが見えてきた。今回の旅で最初の世界遺産だ。ここはムガール帝国の皇帝シャー・ジャハーンの居城として17世紀半ばに築かれた赤砂色の城である。シャー・ジャハーンはタージ・マハルを築いたことで有名であるが、アグラから遷都して自らの名を冠した新都シャー・ジャハーナバード(現在のオールドデリー)で君臨したとのこと。その後セポイの反乱で多くが破壊されてしまったが、残された重厚な外壁を見ているだけでもムガール時代の歴史を感じる。赤砂岩を積み上げて造った要塞であるため、別名「ラール・キラー(赤い城)」とも呼ばれているらしい。インドの独立後も、近年まで軍の施設として使用されていたとのこと。
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城壁の外周を8分の1歩いたが、暑くて1周するのは諦めた。

◇ オールド・デリー
レッド・フォートの向かいにあるのがニューデリー建設時における本来のデリーであり、ムガール帝国後期の首都だった地域であるとのこと。興味津々で、そのままオールドデリーも散策してみた。
すると観光客目当ての人力車が、外国人(カモ)がきた!と言わんばかりに目の色を変えて「乗れ乗れ」と集まってくる。しつこく付きまとう人力車のオヤジ達を何とか押しのけ、西へと延びる大通り(チャーンドニー・チョウクと呼ばれてる)を歩いてみる。中央部にはインド最大のモスクであるジャーマー・マスジドなど、歴史的建造物も多く見られ、なかなか見ごたえがある。
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オールドデリーの北側にはデリー駅があり、ラージャスターン州方面への列車が発着している。東にはヤムナ川があり、その近くにガンディーの記念碑であるラージ・ガートがあるらしいが、時間の都合でそこまで足を延ばすのは断念した。
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<街中の様子はチェンナイの雰囲気に似ている>


インドを歩いていると外国人の存在はとても目立つ。インド人は外国人を見ると興味を持って鋭い眼差しを向けてくるのだが、話をするととてもフレンドリーであり、余計とも思われる世話をやいてくる。ただし初めから騙そうと企んで近づいてくる輩も多いので注意が必要だ。

とりあえずここで昼食をとることにしていたのだが、当初行こうと思っていた店がまだ開いておらず、仕方なくSUBWAYでベジタリアンサンド。以外にもインドではSUBWAYの人気が高い。
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 <街中でも猿が歩き回っている>

インドで最も有名で象徴的な世界遺産は、やはりタージ・マハルであろう。
そこはインドに興味が無い人でも、一度は訪れてみたいと思うのではないだろうか。
その他にも北インド(特にデリー周辺)には世界遺産が点在することから、2泊3日でデリー周辺を巡る旅とした。
(1日目:移動、 2日目:デリー近郊、 3日目:タージ・マハール)

◇ 首都デリーへ
チェンナイからインドの首都デリーまでは、北へ約2,000kmの位置にある。
ほぼインドを縦断する形だ。しかし初日は移動のみとしたので、フライトが多少遅れてもデリーのホテルまで辿り着ければ良いので気が楽である。

チェンナイ空港で「案の定」若干の遅れはあったものの、3時間のフライトでデリー空港(正式にはインディラ・ガンディー国際空港)に到着。さすがに首都デリーの国際空港だけあって立派な建物である。

ホテルへ送迎車を頼んでおいたので、さっそく迎えのドライバーを探す。
インドでは、どこの空港へ行ってもピックアップ待ちのドライバーが山ほどいるのだが、その中から自分のドライバーを探すのに苦労する。
今回も探せど探せど自分の名前を書いたプレートを持っているドライバーがいない。
何度も往復して見たが、やはり見つからない。
まだ来ていないのかと思い仕方なく近くのベンチに座って待とうとすると、何やらベンチの上にプレートが置かれ、そこには自分の名前が書いてある。その横ではドライバーらしき男が眠そうに座ってくつろいでいる。

やっぱり・・・。 こういったことはインドでは普通なので、もう怒る気さえ失せた。
声を掛けるとドライバーは慌てて立ち上がり、「Welcome!」と手を差し出してきた。


空港からホテルまでは約1時間半。車窓から見るデリー市街の風景は、チェンナイと比べて遥かに洗練されている感じだ。
ところでデリーの大気汚染は深刻な状況で、PM2.5やPM10の値は世界最悪レベルである。
この日はそれほど視界は悪くなかったが、酷い時期には数十メートル先も見えなくなる日もある。
インドの環境汚染は凄まじいものがあり、水質汚濁・土壌汚染においても世界ワーストを争う事態となっている。(この件も山ほど書きたいのだが、また別の機会に紹介しましょう)

無事ホテルへ到着して夕食を済ませると、明日に備えて早めに眠ることとした。
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2日目の朝、オーランガバードにあるホテル周辺を少し散策。
チェンナイよりもゴミが少なく、雰囲気も落ち着いた感じだ。

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◇ アジャンタ石窟群へ
ホテルから車で移動すること約1.5時間。
インドの道路は状態が悪く車の揺れが激しいので、たとえ短時間でも体への負担が大きい。
車では途中までしか行けないとのことで、ドライバーを駐車場に待たせてバスへと乗り換える。
が・・・ さすがインドのバス!! 車体は隙間と穴だらけである。
雨の日には確実に車内で傘が必要になることだろう。
(考えてみればチェンナイの路線バスには、ドアも窓ガラスも無いから、まだマシではあるが・・)
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<デカン高原を走るバス>
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<車内の様子>
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◇ アジャンタ石窟群
そうこう考えているうちに目的地へ到着。
ここはインドで最高の仏教壁画が残るアジャンタ石窟。 紀元前2世紀~紀元後6世紀頃の造営とされているが、仏教の衰退とともに忘れ去られていたらしい。さらに周囲はジャングルであったことから(虎が多い)人間を寄せ付けず、1800年代に入ってから虎狩りに来たイギリス人によって発見されたとのこと。
このため太古の壁画が荒らされることなく、ほぼ当時のままの状態で残っている。
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<石窟は崖の中腹に存在する>
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<鮮明に残された壁画>
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<仏教彫刻>
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これらの壁画はあまりに貴重であることから、2~3年後には保存のため閉鎖され観光客は見られなくなるらしい。(今回訪れておいて良かった)
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◇ チェンナイへ
時間を忘れて見入っていたが、そろそろ出発しないと帰りのフライトに間に合わない。
何が起こるかわからないインドなので、時間には十分余裕をもった行動が必要になる。
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<途中で昼食のカレー>

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<帰りのバスは少しまともだった>

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<リクシャで訪れる地元インド人も多い>

バスで駐車場へ戻り、車でオーランガバードの空港へ。
ドライバーに別れを告げてチェックインを済ませると、ムンバイ行きの飛行機が2時間近い遅れの案内。
ムンバイで乗継便に間に合わなければ、今日中にチェンナイに戻れない・・・。
いろいろと対応策を考えていたが、周囲のインド人達は遅れるのが当然という顔で待っている。
さすがインド。
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結局1時間半遅れでムンバイに到着。
乗継便のターミナルが違うので、500mほど激走し、何とかチェンナイ行きの飛行機に間に合った。

今回行ってみようと思い立った「アジャンタ・エローラ石窟群」。
オーランガバード(ムンバイの東)郊外にある世界的に有名な石窟群であり、ピラミットやアンコール・ワットと肩を並べるほどの印象的な世界遺産ということだ。
インドの世界遺産巡りは、マハーバリプラム、デリーのタージ・マハルやアグラ城に続き3回目となる。(デリーの世界遺産については、後日紹介します)

◇ エローラ石窟群へ向かう
最初の目的地は、オーランガバードから30Kmほど離れたエローラ村だ。
広大なデカン高原を走っていると、チェンナイの雑然とした雰囲気に慣れた自分にとっては、「ここはインドか?」と思えるほどの壮大な景色が広がる。また1月は最も涼しい時期であるとともに、高原に位置することから快適な温湿度である。
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<今回雇ったドライバー>
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<途中でちょっと休憩>

そんな気分を満喫していると、突然「ドーン」というクラッシュの衝撃が走る!
なんと後続車が追突してきたのだ。
しかしドライバーは涼しい顔で「No problem」と言い放ち、そのまま車を走らせようとする。
慌てて「いやいや違うだろう!」と言うと、しぶしぶ車を降りて後続車へと向かい、加害車ドライバーと何やら談笑を始めた。1分ほどで戻ってきたと思ったら、やはり「No problem」と笑って再発進・・。
幸い運行不能には至らず旅の中断は免れたものの、何が起こるか判らないのがインドであり、その対応や処置も日本では考えられないことをする。まさに自由奔放なインド。
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追突で取れたバンパー。雑巾で縛って処置完了・・・


◇ エローラ石窟群
トラブルはあったが、ようやく念願であったエローラ石窟群に到着。
この石窟寺院群は5世紀から10世紀の間に造られ、仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院や修道院などで構成されている。それぞれの1枚の崖岩を上から彫り込んでいったらしいが、その建築技術は見事である。複数の宗教が同じ場所に存在していたのも興味深く、しかも相互の建造品に対する破壊等も行われていなかったようだ。
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<ヒンドゥー教石窟>
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<見事な石窟内の彫刻>
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<仏教彫刻>


そしてついに最大の石窟寺院であるカイラーサナータ寺院に来た。
見た瞬間、開いた口が塞がらなかった。(逆の意味で)
何という圧倒的な存在感・・・。
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<石盤の上部から眺める寺院は圧巻>
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<重厚感も半端ではない>
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<学生の修学旅行だろうか>
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何度も言うが、ここは全て岩肌を削り取り、巨大な寺院と彫刻を造り出している。石を積み上げたのではなく、岩壁を彫り込んで造型を残しているので、彫刻も寺院も底面も全てが一体なのである。しかも崩落を防ぐために上から彫り込んでいったというのだから、考え方を全く逆にしなくてはならない。一体どういう設計と工程プロセスを踏んでいったのだろう。加えて、その構造や彫刻は大胆かつ繊細・複雑で、掘削技術的にも美術的にも感嘆せざるをえない。どれだけの労力と時間を費やしたのか、考えただけでも気の遠くなるような作業が目に浮かぶ。古代のインド人には脱帽である。

◇ その他
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<途中のレストランで食べたカレー>

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<インドの子供たちにとって外国人は珍しいので人気者になれる>

こうして感動のエローラ観光を終え、いったんオーランガバードのホテルへ向かった。
明日はアジャンタ石窟群だ。

チェンナイに来てから、信じられないような困難が溢れるほど待ち受けていたわけであるが、それは後々書くとして、今回は世界遺産を紹介しましょう。
チェンナイから約60km南下した東海岸にあるマハーバリプラム(旧名ママラプラム)は、ベンガル湾を臨む遺跡の街である。ここには4世紀から9世紀にかけてパッラヴァ朝のマーマッラ王とその後裔によって作られた彫刻や石窟寺院がある。
広いインドの中で、日帰りで行くことができる世界遺産ということもあり、まず訪れたかったのがこの場所であった。

◇ バターボール
ユネスコ世界遺産にも登録されているクリシュナのバターボール。(直径約10m)
ヒンドゥー神話の英雄「 クリシュナ」の大好物であるバターボールに似ていることにちなんだ名前らしい。
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<一枚の大きな岩の上にあり、今にも転がり落ちてきそう。。。>
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◇ 石彫寺院(ラタ)
岩の塊から彫り出した岩石寺院を「ラタ」と呼んでいる。
7世紀頃の当時の南インドの木造寺院を模したものらしい。
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<あまりの暑さでインド人も日陰に集まる>
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◇ 石造寺院
海辺に建てられた「海岸寺院」は切石を積んで建立した石造寺院であり、7世紀末から8世紀初頭にかけて作られたとのこと。近代まで砂に埋まっていたことから、これまで保存できていたが、掘り出してしまったことで、風化による損傷や崩壊が危ぶまれている。
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 <タミル文字で説明が書いてあるが・・・読めず>

◇ 周辺の様子
世界遺産の周辺ということもあり、賑わいを見せている。
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<貝殻で作った装飾品店>
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<南国の果物は豊富>
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<インドの女性は服を着たまま海に入る>
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<貝殻に絵を描く職人>
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<ココナッツに挑戦>
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インドの世界遺産に初めて訪れたが、歴史・文化における大変興味深い印象を受けた。
突拍子もない事をする人々に対して最初は呆れていたが、歴史的要因と経緯について考えるひとつの良い機会であったのは間違いない。

インド生活が始まって約9か月。
せっかくなので、インド情報をブログに残しておこうと思い立った今日でした。

チェンナイへ来たのは昨年4月。
この地域は4月~6月の「暑季」、7月~12月の「雨季」、1月~3月の「乾季」に分かれるが、
年間を通して高温多湿であり、暑季の日中の気温は40℃を軽く超える。
当初はこの過酷な環境に体が付いていけず、毎日バテていたのを思い出す。
インド生活の試練といえば、まずはこの気温・湿度との戦いになる。
熱射病や脱水症状を起こさないよう、十分な注意が必要だ。


次に直面するのは食事の問題である。
インド人の食事は基本的にカレーであるが、日本のそれとは似て否なるものである。
インドカレーに投入される大量のスパイスは、日本人の味覚や体に合わないことが多い。
カレー以外のものを食べたければ、インド料理以外のレストランを見つけるか、自分で作るしかない。但しインド料理以外のレストランはチェンナイでは希少である。

またインドはヒンドゥー教が主であり、鶏肉以外の肉は食べないため(ベジタリアンも多い)、日本人の好む牛肉・豚肉のたぐいは、加工品も含めて手に入らない。
また魚を食べる習慣もほとんどないので、魚貝類も加工品を含めて入手できないと考えておいたほうが良い。
チェンナイではアルコールも普通の店舗では販売が禁止されており、ホテルのレストラン以外で飲むことはできない。

しかし特に気を付けなければいけないのは、食材の鮮度と衛生状態だ。
高温多湿の気候で食材はすぐに痛むし、流通時・保管時の冷凍・冷蔵設備が整備されていないうえ、調理場の衛生管理も徹底されていないため、たとえ加熱処理をした料理であっても油断はできない。

いずれにしても、カレーを基本とした食生活に切り替えるか、食中毒のリスクを抱えてインド料理以外の外食をとるか、数少ない食材を駆使して自分の好みに合った食事を作るかの選択枝となる。

食事については、まだまだ様々な話があるので、また別の機会に紹介しましょう。
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